こんにちは〜
黒目の黒いとこでーす。
今回も読書メモ、スペンサー・ジョンソンさんの「チーズはどこへ消えた?」です。
著者名からわかる通り、あからさまな翻訳本。
これは何度でも主張したいんだけど、翻訳本嫌い〜!!!ww
登場人物がわけわからなくなるやつ〜!
よって海外ドラマも苦手〜!!!
独特な言い回しも苦手〜!!!
ま、日本の著作物でも登場人物が多いとすぐに誰が誰かわからなくなるんだけどね。
人間の顔と名前、なかなか一致しない。
前座
なんか……売れてるらしいから買ってみたよ……
同窓会みたいなところで、ひとりの青年が「チーズはどこへ消えた?」という、とある2人の小人と2匹のネズミの小話をかつてのクラスメイトたちに聞かせるというストーリー。なんだこの字面ww
誰が何なのかわからない状態になって、結構イライラしながら読んでたww
最初に同窓会の場面が出てきて、チーズの話(本編)になって、最後にまた同窓会の場面が出てくるんだけど、その同窓会に出てくる人たちも横文字の名前だから
「いや誰だお前。何屋さんの人?」
「……あれ、もしかして新キャラ……?」
「くっそ、ちょっと最初に戻って確認しよう」
と、本編よりそっちのほうが気になる事態にww
めげずに読んだの偉い。
感想
「勇気を持って変化していくことの素晴らしさ」を、片方の小人さんの成長?変化?を通して描かれてる。
この物語の中で「チーズ」ってのははむちゃくちゃ大事なものとして扱われていて、我々からすると食べものとかカネとか仕事とか豊かな生活とか愛情とか、まぁ色々あるだろうけど「幸せの象徴」だと思う。
印象的なのが、「そのチーズを自分たちのものだと考えるようになった」とか、「ただそこにあるのが当然のことになっていた」とか、まるでチーズを仮初めの、力を込めて握っていなければスルッといなくなってしまうもののように表現されていたところ。
原作のタイトルも「Who Moved My Cheese?」で直訳すると「一体誰がわたしのチーズを持っていったんだ?」、けしからん!みたいなニュアンスなのに、そもそも自分のものじゃなかったという。
そうですねチーズって当たり前じゃないですね(吐血)。
巨大な迷路の中、2人と2匹はとあるチーズステーションなる場所で毎日美味しくチーズを食べていたんだけど、「チーズはどこへ消えた?」ってことで、ある日その頼りのチーズがなくなっちゃうんだよね。
2匹のネズミは毎日チーズステーションを走り回って、チーズの様子を確認していたから「そりゃまぁなくなるでしょうね」ってことで新しいチーズを探しに迷路へ繰り出すんだけど、2人の小人はチーズがないことに絶望して、毎日チーズステーションへ赴いては途方に暮れて終わる。
片方の小人は
「もしかして、ここでずっと嘆いていてもチーズは戻ってこないし、ただ破滅するだけでは?」
「よし、死ぬほど怖いけど新しいチーズを探しに出よう。少なくともこのままじゃダメだ」
とチーズステーションの外へ出る決心をする。
でももう片方の小人は、相変わらず
「チーズはどこへ消えた?」
「こんなことがあっていいわけはない!」
「この事態は誰かほかの者のせいなんだから、我々はこうなったことで何かもらうべきだ」
なんてわめくばかり。
結果はまぁ、前者の小人の大団円でめでたしめでたし、後者の小人のその後は希望っぽいものが書かれて終わった。
これさー、第三者から見てると後者の小人は本当にアホなんだけど、自分がこの小人の立場なら同じように文句だけわめき散らして死んでいくんだと思う。
んでそういう人が多くないのなら、こういう本が流行るわけもない。
あと黒目はハッピーエンドの物語じゃないと読みたくないから、後者の小人にもぜひ救いがあってほしい。
作り話の中くらい全員幸せであれ。
まとまらない
変化を察知して、受け入れて、楽しんで、さらなる変化を期待するってのがね。
文字にするとびっくりするくら当たり前っぽいことが書いてあるんだけど、人生そううまくできないよね。
当たり前のことをこうやって再確認させられるのもすごいことなんだろうねうん。
変化自体を「楽しむ」ってのが一番難しいところなんじゃないかなぁ。
楽しいなら察知したくなるし、喜んで受け入れるし、もっとちょうだいって思うもん。
どうにかして変化を楽しく思えるようになりたい所存。
ではおやすみなさい。
いい夢を★